ブンタの一生

そいつは突然家にやって来た。

まだ手のひらに乗るほど小さく、ろくに「ニャー」とも鳴けず、耳と、尻尾と、左腹のブチだけが黒で他は白い。

兄と母が近所で貰ったというその小さな生き物は、父の反対を多数決で押し切り俺の家に住み着くことになった。俺の知る限り、人間以外の初めての家族構成員となる新入りは、父により「ブンタ」と名づけられた。

 

まだ生まれて間もないブンタには、乳が必要だ。だけど本来乳を与えるはずの母猫はいない。皿から牛乳を飲む芸当などは到底おぼつかず、猫が使える哺乳瓶も無く、ブンタにどうやって乳を飲ませるかが問題となった。

いくつかのアイデアが出され期待を裏切られること数回、母の出したアイデアの一つはついに身を結んだ。それはなんと「お麩」だった。

暖められた牛乳の中にお麩を浸すと、やわらかくなったお麩をブンタはチュッチュと吸った。おなかいっぱい牛乳を飲んで満足したブンタが口を離すと、お麩はブンタの口の形に膨らんでいた。

ブンタは俺と兄のいい遊び相手になった。とりわけ、それまでは家族構成の最底辺を担っていた俺にとっては、格下の出現はなんとも嬉しかった。俺と兄は、興奮した子猫のつめの鋭さや、「ネコジャラシ」の名前の由来を身をもって体験していった。

でも猫の成長は人間のそれよりもはるかに早い。ブンタはあっという間に子猫とは呼びにくい大きさまで成長してしまい、目の前でネコジャラシを揺らされてもめんどくさそうに目を細めるだけになった。

ブンタは母に一番良くなついていた。

コタツの中で溶けたバターのようになって寝ているときも、母のバイクの音を聞き分けると飛び起きて、必ずお迎えに出ていた。餌をくれるから、ということもあったろうが、やはり母が一番よく可愛がっていたし俺には時々いじめられたりもしていたからだろう。

でもそんなブンタも、冬の寒い日にはよく俺の布団に潜りこんできた。冷え切った体でのどをゴロゴロさせながら、ブンタは俺の足元で丸くなる。布団の中ではいじめないのが二人のルールになっていた。

 

俺はそんなにいろんな猫を知っているわけではないけど、ブンタは変わった奴だったなぁと思う。

一時期、ブンタは沸いた風呂のふたの上で暖を取るのがお気に入りだった。ある冬の日、よほど寒かったのか大急ぎで外から帰ってきたブンタは、そのまま走って風呂場に向かう。そして慌しい足音の後に、ブンタの悲鳴が響いた。その日、風呂場にはふたは無く、中身は冷たい水だった。

またあるときは俺が小学校から帰ってくると、普段はあまり近寄らないくせにその日は妙に甘えて足元にまつわりついてくる。あまりに執拗な甘え方に何事かと怪しんでいると、ブンタが俺を足止めしている間に茶色いメス猫とブンタそっくりの子猫が数匹、台所のエサ場から逃げていった。

全員が逃げたことを確認するとブンタはころっと態度を変え、きびすを返して一目散に逃げた。俺はあっけにとられながらも、女房と子供たちを逃がすために絞ったブンタの知恵に思わず笑い出してしまった。

日本語もわかる猫だった。ある日母親が、「ブンタは飯を食うばかりでねずみ1匹つかまえやしない」と冗談で愚痴をいったことがあった。すると、なんとその翌日からブンタは一日一匹ねずみを捕まえるようになった。

しかも片付ける側に気をつかってか、必ず風呂場に死体を置いてある。風呂場から出てくるときのブンタの顔は、なんとも自慢気で意気揚々だった。

しかしねずみの死体を片付けるのはあまり気分のいい仕事ではない。最初は父がその役を担っていたけど、じきに俺が担当することになり、しばらくして母は「もうわかったからねずみを取るのはやめて」とブンタに懇願した。やがてブンタはもうねずみをとらなくなった。

 

ブンタが家族の一員となって数年後、俺はラジオ体操の帰りにもう一匹の子猫を拾ってきた。

体のほとんどが黒いこの猫はチビと名づけられた。チビとブンタがいい仲間になるかと期待していたのだが、2匹は今ひとつしっくりとは相容れなかった。

ブンタにしてみれば、土田家の唯一の愛玩動物だった立場が愛くるしい子猫のチビの出現によって侵されたのだから、今思えば当然かもしれない。チビばかりかまっていると、やきもちをやいたブンタが大人気ない行動をとることもよくあった。

またライバル意識からか、ブンタの体のサイズはふた周り程度大きくなった。でも体がいくら大きくても気の弱いブンタは喧嘩にはめっぽう弱く、それに比べてチビは風変わりな威嚇のしかたとすばやい動きで喧嘩が強かった。

太ったのが逆効果だったのか、じきに運動能力ではチビにかなわなくなったブンタはチビに対抗することをあきらめて、ふてくされた顔で張り合うことをやめた。

 

そうやって寝たり食べたり出かけたりして、やがてブンタにも老いが訪れた。

最初は以前よりも活動的でなくなった程度だったが、老衰は少しずつ確実に肉や骨を細らせた。見てすぐにそれだとわかるほど老衰した頃には、外に出かけることもほとんど無くなり一日のほとんどを寝て過ごしていた。だんだんと、ろくに動くこともままならないブンタはトイレの場所を選べなくなった。

ブンタの死期を看てとった母は、もう最期だからどうにかして家にいさせてやろうと努力するが、家族の生活の必要には変えられずブンタはついにベランダの猫小屋で生活することになった。

首輪につながれたブンタは、俺たちの顔を見ると弱々しい声をどうにか張り上げて家に入れてと懇願する。でも少しだけでも入れてあげてはという俺の意見は、後で外に出すときがもっと哀れだという両親のもっともな言で却下された。

 

数日後、俺が学校に行っている間に、ブンタは母のひざの上でその生涯を終えた。

母は泣きながら、「猫は普通は誰も見ていないところで、一人で死ぬもんなんだよ」と言った。

ダンボールに入った動く気配の無いブンタを見て、俺は生まれてはじめての身内の死を体験した。今までいじめたことを少しずつ後悔しながら、「ああ、俺はブンタが好きだったんだ」とそのとき気づいた。

翌日、ブンタは近所にあったお寺の裏庭に埋められた。

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