おばあちゃんが消えた日

俺は小さい頃 - もう何がどう好きだったか覚えていないくらい小さい頃、秋田のおばあちゃんが大好きだった。

秋田のおばあちゃんは父方の祖母で、たしかずっと仙台に住んでいた。ごくまれにしか会うことはなかったけど、あった時には色々遊んでもらったり、お小遣いをもらったりした優しい思い出しかなかった。手紙を書いてお小遣いをねだったりしたこともあった。わがままを聞いてくれることを知っていたからなのだけど、後で当然両親にばれ、こってり絞られたりした。

そのおばあちゃんが、俺が中学一年生のときにひょんな事から一緒に暮らすことになった。たしか一緒に暮らしていた家人(爺ちゃんではない)が亡くなってしまったのがきっかけだったと思う。

5人目の家族を迎えることには特に抵抗がなかった。おばあちゃんとの思い出は楽しいものばかりだったし、もうどんな顔や声をしていたのかすら覚えていないけど、むしろ楽しみでさえあった。この”楽しみ”のなかには「お小遣いがもらえるかもしれない」という若干よこしまな魂胆もあったところは俺らしいソツの無さといえるだろう。

家族の反対もこれといって無く、話はトントン拍子にすすみいよいよ今夜おばあちゃんが家に来る日になった。父親が迎えに出ており、俺は家の中で「おばあちゃんがきたら、こんなことをしたら喜んでくれるかも?」なんてことを楽しみに考えながら妙にそわそわしていた。

予定よりも少し遅れて家のドアが開き、玄関に声がした。そそくさと走って迎えに行くと、そこにはあまり見覚えを感じないおばあちゃんが立っていた。用意しておいた歓迎の言葉がとっさに出てこず、動揺と困惑と入り混じったままどうにか作り笑顔を保ったままおばあちゃんを迎え入れた。

これから暮らす為の荷物の整理を終えると、おばあちゃんは俺になにか欲しいものは無いかと聞いてきた。何でも買ってくれる言う。まさかとは思ったが、当時としては高級なダブルデッキのラジカセを口に出すと、なんとその場で一緒に買いに行ってくれた。

両親は口をそろえて「よかったね、おばあちゃんが来てくれて」と笑っている。手に入ることは無いだろうと思っていた憧れのラジカセだったので、それに関してはもちろん大喜びだった。けど、俺は心の中に、自分でもわからないなにか釈然としないものを感じていた。人の顔色を読むのが当時から得意だった俺は、当然そんなことは顔にも出さず、ただただ予想外のプレゼントに大喜びする中学一年生を演じていた。

翌朝起きると、当然ながらおばあちゃんもそこにいた。当時から寝坊気味だった俺は朝飯を食べたことがほとんど無い。「おはよう」と挨拶するおばあちゃんと目をあわさないようにしながら「おはよう」と「いってきます」を同居させ、忙しいふりをして(事実忙しいのだけど)家を出た。

学校へと向かって走りながら、俺は自分の感情を反芻していた。それは少年らしい照れではなく、生理的な嫌悪感だった。

 

存在としては愛すべき存在であることは十分わかっていた。好きになりたいとも思っていた。思春期の始まりだったのかもしれない。身近な存在としての年寄りに不慣れだったせいもあり、単なる違和感を感じていたこともあっただろう。でも狭い家の中で一緒に暮らすからにはどうにかして順応しなければならない。

それはおばあちゃん自身の不安でもあった。今まで一緒に暮らしたことの無い息子夫婦や、孫たちとの生活に慣れなければならない。おばあちゃんにはうつ病の気があったので、両親が人懐っこい性格の俺に期待しているのも解かっていた。予想外の高価なプレゼントも”御機嫌とり”の一部であるのも本能的に気付いていた。俺は自分の嫌悪感に関しては一切口を噤むことに決めた。

 

苦しい日々は続いた。

毎朝起きて、おばあちゃんの存在を確認するたび心の中に浮かぶ失望感から目をそむけながら、余力のあるときには自分から話し掛けたりもした。が、順応しようと頑張れば頑張るほど現実はそれとは逆の方向へと発展していった。

まずおばあちゃんの体臭が気になるようになった。別に取り立てて匂うというようなものではなかったのに、むしろ自分から嫌う要素を探しているかのようだった。そんな自分がたまらなく嫌だったし、そんなことが両親にバレて失望されるのも嫌だったが、頭ではわかっていても自分ではどうしようも無かった。俺は表情を丁寧に繕いながら、自分のしかめっ面を喉の奥へ飲み込んだ。

じきに、おばあちゃんの触ったものに触るのがたまらなく苦痛になった。生活を共にする間柄ではこれは致命的だ。俺は家族が見ていないときには隠れて手を洗い、それができないときには背中に冷たい汗を感じながら我慢をし、後から手を洗った。失礼なことだと思い、申し訳ないことだと思い、自分で自分が情けなくなりながら何度も何度も洗った。

おばあちゃんと直接たくさん話をするのは辛かったので、母親に向かっておばあちゃんのことを色々話すことで両親を安心させようとした。元気におばあちゃんの話を色々とする息子に母親はまんまと安心していた。自分の作戦が成功した感触と、これで助けてはもらえないであろう失望を味わいながら俺は日々疲れていった。

しかし自宅で気の休まらない生活は長くは続かない。俺は自覚が無いまま、少しずつ変わっていった。

まずあまり食事をとらなくなった。おばあちゃんと一緒の食卓が辛かったのと、日々のストレスでの食欲の減退が混在していた。当然母親は心配したが、俺はいつもありきたりの言い訳で切り抜けた。日数が経ち目立つまで体重が減った頃には、カーテン一枚で仕切った兄と共有の部屋に閉じこもって、窓を見ながら家を出て行くことをずっと夢想していた。でも行き先のところまで夢想した時点で思い当たる場所が無く、結局また夜中にそっと窓を開けるところから考え始めなおすのだった。

自分では良くわからなかったが口数も相当減っており、たまにおかしなことを口走ったりしていたらしい。もとより八方美人なところのある俺だけど、両親にまで気をすり減らして話すことに疲れ果てて、しゃべるのがおっくうになっていた。

心配した両親はまず学校で何かあったのかと心配し、次に何か悩みがあるのかとたずね、最後にもしかしておばあちゃんのことかと聞いた。俺は親のくせに子供のこともロクにわからないのかと逆恨みしながら全て適当に否定して、詰問を早々に切り上げさせた。無人島に助けに来た口うるさい救急隊員を追い返した気分だった。

当然おばあちゃんも心配した。両親の手前もありでしゃばるようなことは一切しなかったけど、それとなく優しく「どうしたの?」というようなことを聞いてきたこともあった。俺はなさけないような悲しいような気分で、笑顔も泣き顔も作ることが出来ず無表情のままで「なんでもない」とだけ答えた。声色だけは出来る限り優しくするように気をつけた。

 

ある日、俺はいつものごとく元気を装い皆のために料理をすると言い出した。日中は両親が働きに出ていたため、土曜日は兄とおばあちゃんの3人の昼飯になる。いつもは兄が作るのだけど、そうすると俺とおばあちゃんが二人で残されることになる。料理は気晴らしにもなるし、ちょっとやってみたかったのだ。

しかし台所に立ってしたくを始めると、見かねたおばあちゃんが「おばあちゃんも手伝ってあげるね」と隣に立った。俺は神様を呪いながら、おばあちゃんと二人でろくに火の通っていないナスの入った醤油チャーハンを作った。ひどい味だったと思うけど、残さず全部食べた。おばあちゃんは美味しいと言ってくれた。

ここが俺の限界だった。

その夜、俺は昼に食べたものを全て吐き出し、熱を出して寝込んだ。食事は全く受け付けず、以前にも増して口数が減った。母親はおろおろし、幾度となく何かあったのかと聞いたが俺は一切答えなかった。カーテンに仕切られた3畳ほどのスペーズが唯一俺の居場所だった。誰とも口を聞きたくなかった。

しかしある夜、たまりかねた母親は意を決して俺の前に座った。何かを吐き出しそうなほど思いつめて、おまえは私をもう母親として認めないのかと言う。顔が大分やつれており、心配のあまりあまり眠ってもいないようだった。話しと言うよりは脅しに近い剣幕で詰め寄る母親を前に、俺は全て告白することにした。そうしないと本当におかしくなってしまうのではないだろうかと思えた。

俺はこれまで自分が感じつづけてきたこと、自分なりの努力、この状態に対する自己嫌悪、両親の期待を裏切りたくなかったことなど全て打ち明けた。予想通り、母親は「あんなに楽しそうにしてたからてっきり」と驚いていた。俺は一気に下ろした肩の荷の重さと、これから起こる出来事への漠然とした不安感に朦朧としていた。「とにかく休みなさい」と俺を布団に寝かして母親は部屋を出た。

大人たちはなにやら俺のことで話し合っていた。これからどうなるのだろうか、もしかして母親と俺だけ別のアパートかなんかで暮らすことになるんじゃないだろうか、などと想像していると、なんだかごそごそと妙にあわただしくなってきた。到底寝付けなかった俺が玄関口を覗いてみると、おばあちゃんが父親に連れ添われて家を出て行く正にそのときだった。

呆然と立ち尽くす俺に、おばあちゃんは「圭ちゃん、元気でね」と微笑んだ。ドアがパタンと閉まった。

 

「おばあちゃん出て行くって」と母親は泣いていた。俺は最初、自分がこれまでこんなに頑張ってきたのに、いきなりおばあちゃんに打ち明けてしまった父親に憤りを感じた。でもだからといって他に解決方法があったわけではなく、父親は俺を救ってくれたことも充分承知していた。

結局おばあちゃんを助けられなかった自分にも失望したが、既に自分の限界がきていたことも解かっていた。俺は悲しいような気まずいような訳のわからない感情に混乱しながら、ここ数日間味わったことの無い深い眠りに落ちた。

翌朝。母親は泣きはらした顔でおはようといった。あえておばあちゃんの話を避けるように食事をして、落ち着いた頃に母親は俺の傍に座り話し始めた。

俺の話を打ち明けたときに、おばあちゃんは即座に家を出ることを決めたらしい。他の解決法も模索しようとする両親を遮って、出来るだけ早く自分が出て行って俺を助けてくれたんだそうだ。「せめて日が明けるのまちましょう」という提案にも、いや早いほうが良いと首をタテに振らなかったらしい。

俺は感謝とも後悔とも似たような違うような気持ちで、昨日のおばあちゃんの最後の言葉を思い出していた。

「圭ちゃん、元気でね」

 

3年後、おばあちゃんはガンになり、もう長くはないという話になった。

父親に「最後に一度顔を見せて来い」と東京の病院の場所を教えられ、俺はいまだに顔向けができない気分で病院に向かった。おそるおそる病室に入ると、チューブをたくさんつけて以前よりももっと痩せたおばあちゃんがいた。

俺の顔をみるとおばあちゃんは微笑んで「あら圭ちゃん、わざわざありがとうね。お小遣いをあげないとね。」と俺に五千円札をくれた。恨むような素振りもなく、静かな穏やかな笑顔だった。昔感じたような嫌悪感はそのときは感じなかった。

「ごめんね」

「ごめんね」

うなだれて病院を後にしながら、何度も何度も心の中でおばあちゃんに謝った。

 

数日後、おばあちゃんは息を引き取った。64歳だった。

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