ごめんよボヤッキー
大学3年生になり、俺たちの代は一年生を指導する立場となった。まだ先輩風を吹かせなれていない俺は、その心地よさをことあるごとに堪能していた。夏休みに入り、一年生は9月の初試合に向けて徐々に緊張し始める。そんな後輩達を引き連れて、俺は居酒屋ののれんをくぐった。 学生の飲みは貧乏極まりない。ただでさえ安いチェーン居酒屋で、極力つまみをケチってビールでごまかす。俺はこの2年間で培った「いかに飲み代を安くあげるか」のノウハウをひけらかしながら、まだ初々しさの抜けきらない新入生にビールを注いでいった。 乾杯してしばしくつろいだ後に、初試合にかける意気込みを語らせる。気の抜けた返答なら、気合が足らんとイッキ。気迫のこもった返答なら、その気合を見せてみろとイッキ。要は喝入れとイッキゲームにかこつけた、上下関係のすりこみのようなものだ。それでもお互いそれを理解しつつ、皆「俺は優勝するッス」と時には半強制的ながら意気込み、楽しみながら時間は過ぎていった。 しかし、程よくアルコールも回ったところで俺は切り札を出す。 「ところでおまえら、このままで本当に勝てると思うのか?」 まぁ、ここで反駁できる新入生はまずいない。場は水を打ったようにシュンとなった。唯一反乱分子になる可能性のあった口の立つ新入生も含め、予定通りのことの運びに調子にのった俺はさらに言葉を重ねた。 「空元気なんて、猿でもだせんだよ。勝つために必要なことをやってんのかよ、おまえら?」 うなだれる一同。俺はここぞとばかりに新入生なら誰にでもある失敗を叱り飛ばし、場の後退を沈黙に任せた。俺は余裕の素振りでビールを片手に壁によりかかり、顔はあくまで厳しく保ちながら内心シメシメとほくそえんでいた。さぁ、ムチは効いたようだ。今度はアメの出番だ。少し語調を暖かくして、俺はこう言った。 「おまえら全員、気合では絶対負けないって約束してくれたよな?」 微妙な語調の変化に、うなだれた一同は死に際の水を得たように顔を上げる。「やる気まマジであるんスよ!」といわんばかりな瞳がにわかに光を帯び始め、俺を見つめる。既にペースは完璧に俺のものだ。俺はあたりに吹きすさぶ心地よい先輩風に身を任せ、悦にいりながら念を押した。 「だったら試合まで本気でやれるな?」 新入生は決意を表情に表しながらうなずき「はい」と答える。本当にカワイイ奴らだ。が、ここで許してはいけない。やっぱここは最後のシメが必要だ。 「声が小せぇんだよ!できるんだな!?」 驚きながらも、声を張って返事をする一同。まるで反応の良い観客とのライブのような快感を覚えながら、俺は勝利の美酒に酔いしれていた。居酒屋の中が一瞬うるさくなったことなんて誰が気にするものか。ああ、先輩万歳。 しかし予定外、いや予定以上の効果がでてしまった奴がいた。皆がシュンとした中で、一人瞳をキラキラと輝かせながらウキウキを受け答えをしている奴がいた。時たまいる、こういうノリが大好きな新入生だ。 こういう奴は、自分がどんな風に振舞えば場がより加速するのか本能的に知っている。ああ、まだ俺はまだこのテの奴との付き合いも浅く、行動を予測するには先輩歴が若すぎた。奴は、既に一仕事終えて恍惚に浸っている俺にこう提案した。 「土田さん。気合を入れるためにエールいきましょう!!」 俺は仰天した。もちろん顔には出さずに。 まさか俺のテンションを上回る奴が出てくるとは予想外だったため一瞬うろたえはしたものの、確かに気合を入れるためにエールをやるのは悪いアイデアではない。しかも、ここまでの流れを自分で作っておきながらやらないわけには行かない。既に俺に選択肢は無かった。 結局俺はさも当然で有るかのように賛成し、一同は会計を済ませた後店の外に集合した。湯気が上がらんばかりに昇気した一同は、円陣を組み俺の顔を凝視する。 俺は、以前某先輩がやってて「カッコイイーッ!」と思った、一人一人の名前を呼んでエールをするというのを一度やってみたいと思っていた。着火したのが自分とはいえ、すっかり火がついた奴らにはうってつけだった。気迫では決して負けないように燃える瞳でにらみながら名前を呼ぶと、みな待ってましたとばかりに「はい!」と叫んでゆく。熱く燃える野郎どもの声は、夜空に吸い込まれてゆく。 しかし、ある新入生の前で俺ははたと止まった。 そいつは、いつも「ボヤッキー」というあだ名で呼ばれていた。理由は顔がなんとなく似ているからだ。俺はいつも呼びなれている「ボヤッキー」という名前を叫びそうになり、危うく息を飲み込んだ。緊迫する空気の中、俺は必死に思い出そうとしていた。「こいつの本名ってなんだっけ?!?!」 あせっていた。 思い出そうとすればするほど、時間は無為に過ぎていった。ゆっくり思い出せるほど気楽な状況でもなければ、とてもじゃぁないが「ゴメン、本名なんだっけ?」なんてごまかせる場でもない。しかし、あせればあせるほど本名が思い出せない。不自然に時間は過ぎてゆく。 「ボヤッキーって呼んじゃうか?」いや、それはだめだ。後で笑いのタネになっちまうようなのはだめだ。でも、じゃぁどうしよう。あーちくしょう、なんで出てこないんだ本名おぅ・・・ 残念ながら俺には超能力が無かったので、時間をとめることが出来なかった。俺は必死に燃える瞳を保ちながら、間の限界を感じて叱りつけるようにボヤッキーにこう言った。 「おまえ、本当に気合は入っているのか?!」 なぜ名前を呼んでくれないのかわからないながら、必死の形相で「はい!」と返事をするボヤッキー。俺はまるで、名前を呼べなかったことがボヤッキーのせいであるような表情をしながら、結局本名は呼ば(べ)ずに残りの奴らの名前を呼び終えた。そして、こいつらの必勝を祈願しエールをする。こいつらが試合で成果を出せますように。ああ、でもボヤッキーの本名ってなんだったっけ。すまないボヤッキー。ごめんよぅ・・・ 平静を装ってはいたものの、さっきまでの心地よい先輩風は心の中を冷たく吹きさらしていた。ボヤッキーはその後あるとき「あのときは名前を呼んでもらえなくてショックでした」とこぼし、俺は自分の未熟な部分に吹きぬける冷たい先輩風が再び身にしみるのであった。 |