気合その5 「ジョドォォシ」

 

おっす。塾長だ。しばらく休講が続いたが、各自しっかり隙をみてこれまでの講義を実演してみただろうか。ちょっと照れくさくっても、自分の部屋で一人でやれば恥ずかしくないぞ。思い切り大きな声で、アメリケーンになっちまいやがってくれ。

前回トイレの前で、またしてもアメリケーンのおねいちゃんことZowieにしてやられた後のことだ。すっかり酔いのさめちまった俺は、ふやけた梅を割り箸でつつくことも忘れて飲みまくった。もとより細かいことは気にしねぇ性質だが、酔いが回ると余計に物事がどうでもよくなってきやがる。ガハハと笑いながら、俺はすっかり出来上がってしまった。

で、気づいたら店の外に出ていたわけだが、タニグチはしきりに女性二人をカラオケに誘ってるようだ。普段ならば人前で歌声など決して披露しない俺だが、酒ですっかり気をよくしていたあまり、心の18番五木ひろしの「酒尽々」の歌詞を確認しちまっていた。

で、当の女性陣なのだがこれが今ひとつ乗り切らない。軟弱なタニグチの口調ではやはり女心はつかめないに違いないと悟った俺は、梅くさいゲップで胃を若干軽くした後に3人に割り入った。

「いやいやいやまだ宵の口、これで行かなきゃ女がすたるってもんですな。Let's go go go、ムハハハハハ!」

目頭を押さえてため息をつくタニグチを押しやると、なぜか一歩後ずさる女性陣が。しかしこんなことで負ける俺じゃねぇ。押して押して、押してダメでも押しまくるのが男ってもんよ。昔ロボコンだってそういってたんだから間違いねぇ。俺は血走った目をしっかと見開いて、ようし今度は英語でとさらに力強く誘った。

「オーケーオーケー。ユー マスト カム レッツゴー!さぁさぁ!!」

しかし、ここで今までおとなしかったZowieはキッチリ俺の目を見据えて、ピシっと言い放った。

「We're not going. You are drunk, you should go home.」

「あーあー塾長、ダメっすよそんなんじゃぁ。ンもぅ。」

なんだかご機嫌を損ねたようだが何を言われたのかよくわからず、きびすを返した二人の背中を見ながら俺の怒りは徐々にタニグチに向けられていった。

 

というわけで、俗に言う日本の3大珍味はウニ・カラスミ・コノワタだが、俺的に日本人が苦手とする3大英語表現の一つがshouldだのcouldだのっつー助動詞だ。辞書を引いても「couldはcanの過去形」なんつーおよそ役に立たないような戯言しか載ってやがらねぇ。

たとえば俺が中学校の時の英語の米山先生などに至っては「shouldというのはとても強い表現で、have toなんかよりも強く言いたいときに使います」なんて胸を張ってのたまわったあげく、試験問題にまで出題しちまったもんだからこの俺様が成人してまでいまだその教えを守っていたとしても誰が責められよういや責められまい。

違ぇ。ちげーんだよ違いまくりなんだよそんなんだとアメリケーンに誤解されてわけのわからないところで「what?」なんて小首かしげられちまってすっかり自分に自身を失って今後人前で英語が使えない小心者の典型的に日本人英語ユーザーになっちまうんですよ米山先生と声を大にして叫びたいってなくらい違ぇ。

しかしたとえば「should」と「have to」のニュアンスの違いをじっくり語っている文献と言うのは俺の知る限りほとんど存在しねぇ上に、そんな説明を英語で聞ける奴らぁいまさら説明されるまでもねぇときてやがる。この需要と供給のバランスの取れなさ具合はアダムスミスも真っ青になろうかってぐらいだ。

ということで、ここではあっちこっちで腐るほど唸るほど飽きるほど触れられている文法云々に関してはばっさり省いて極力俺的な感覚について語ることにする。あくまで俺的だが、説明が足りない部分に関しては塾長室にて質問されたい。

 

「should」は感覚的には提案に近い。相手に「〜した方が良い・すべきである」ことを提案し、可能な選択肢の中でよりよい方向を指し示すような場合に使うことが多い気がする。勧めの強さ度合いは語調によってまちまちになろうが、あくまで提案であり選択は相手によることから一番気楽に「〜した方が良い」と言いたい場合に使うとすればこれだ。

比べて「have to」はなんたって「have」ってくらいなので、すでに相手に何らかの行動を起こす必要性(あるいは責任)が存在することをニュアンスとして含んでいる。無論「should」も「have to」も使われ方によるので一概には言えないのだが、どちらの方が比較的強めの表現かと言えばおそらく「have to」だろう。

たとえば

1. 「You have to finish your homework.」
2. 「You should finish your homework.」

これはどちらも「宿題やっとけよ」という意味だが、感じとしては

1. 「宿題終わらせなきゃダメよ〜!」(夕食後、兄弟でプレイステーション対戦に熱中しているときにマミーが子供部屋にやってきて、腰に手をあてて子供たちに釘を刺す場合の表現。)

2. 「宿題やっちまった方がいいよ。」(実はお兄ちゃんの方は今日は宿題が無いためゲームを続行するのを見て、うらやましさのあまり宿題そっちのけでゲームに参加しようとする弟に、怒った母親の恐ろしさを思い出して思いやりある忠告をしてあげるお兄ちゃんの表現。)

てな具合となる。つかみきれない場合は、正確ではないが「should」が「〜した方が良い」、「have to」が「〜すべきである」としておけば、日本語表現の硬さから表現のバランスがとりやすくなるだろう。

さらに強い助動詞としては「must」があるが、これはスタンドで言うとザ・ワールド並に最強と考えて良い。「should」が70%で「have to」が80%だとしたら「must」は100%だ。特別な例外を除いて「絶対に〜でなくてはならない」というような、物事の断定に用いられる。

「You must finish your homework.」

となると、やり方云々はともかく宿題をどうにか終わらせずには朝飯はおろか昼飯までおあずけを食らった挙句、プレイステーションは取り上げられ無実の兄から「だから言ったじゃねーかよー」と非難を浴び、そこから始まった兄弟げんかが元で頭にタンコブが3つほど出来ちまうだろう。

ちなみにこの「must」を使った表現には

「You must be kidding.」(冗談に決まってる)

というようなバリエーションもある。これは相手がふざけていると断定している表現で「冗談だろぉ?」といった軽めのシチュエーションでも使われたりもする。これが例えば「should」だったりすると、まるでふざけてなきゃいけないような感じの表現になることからも、これらの助動詞のニュアンスの違いが伺えるだろう。

この「助動詞+be」というのも非常によく使われるが、これも今ひとつ感覚的につかめないことが多い。かなりラフだが、

「It may be rain.」 降水確率30%
「It could be rain.」 降水確率50%
「It should be rain.」 降水確率70%
「It will be rain.」 降水確率95%
「It must be rain.」 降水確率100%

といった感じでとりあえず覚えておけば、後はなれるにしたがって調節できるようになるだろう。あくまで一例として雨を挙げたが、ここで言いたいのは確からしさとしての感覚であるのは言うまでもない。無論シチュエーションに応じて変動する類のものだが、大きくはずしはしないだろう。

ちなみに第一回講義で触れた「gotta=have got to」は意味合い的には「have to」に近いが、表現としてはかなり砕けている。「must」ほど強くは無いが断定的な意味合いでも使われ、映画やアメリケーンの日常会話でも良く耳にする。なんだか使ってるとカッコ良く聞こえるので、気分良く鼻の穴おっぴろげてカッコつけたいような場合は要チェックと言えよう。

さぁ、今日から信じられないことを聞いたときには「You gotta be kidding」(ユー ガタビー キディン(グ))と思いっきり抑揚をつけてアメリケーンに叫んでみよう。「shouldとhave toって、違いをわかんない人が多いんだよねぇ」などと、窓際で夕日を眺めながら周りの人に聞こえるようにそっとため息をついてみるのだ。

ではまた次回、諸君の健闘を祈る。

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質問その他は塾長室にて